2015/03/31

私家版「現職教員大学院生による現職大学院生のための学生生活の送り方&修士論文の書き方」

はじめに
 「現職教員大学院生による現職大学院生のための修士論文の書き方」は、実は東京G大大学院に進まれたI先生による先行文献があり、門外不出のデータとして一部関係者間には出回っている。
その最後に「修了したあなたも論文の書き方を書いてね」と記されているので、私なりの、「現職教員大学院生による修士論文の書き方」を書き残しておこうと思う。I先生と内容的に重複しているのはご容赦願う。

1、現職大学院生は忙しい!
私は昼間は勤務校で授業をし、夜間は大学院に通うという二重生活を行っていた。
そのため、いかに効率的に大学院での研究を進めるかという難題に向き合うこととなった。
そういう苦し紛れな観点であみだされた工夫であると言うことを、まずは念頭に置いて読んで欲しい。また、国語教育の分野で研究を進めたのでややマニアックな記述が鼻につくかもしれないけど、現職教員大学院生や、国語教育系の学生でなくても参考になる部分があれば幸いだ。

2、どんな道具をあるとよいか
デジタル端末
 iPhoneなどのスマホ
 iPadなどのタブレット端末
 MacBookairなどのノートパソコン
なぜかすべてApple製品なのがいやらしいが、 べつに機種は何でもよい。
ポイントはいつでもどこでも持ち運べるということ。これがのちのち威力を発揮する。

スキャンスナップ……授業や研究会などの資料はスキャン&Evernoteに保存しておけばかさばらない。

書見台……本を見ながら引用文を書いたりするときにかなり便利だ。


ポストイットやノートなどの筆記具はいうまでもないだろう。
容量が大きめのUSBメモリ
(キーホルダーに付け、常に持ち歩いていた。データはDropboxとUSBメモリの二つを保存していた)
そのほか、ビデオカメラやボイスレコーダーもあるとよい。(iPad、iPhoneでも代用はできる)

3、どんなソフトを用意するか
次のソフトは必須である。
Dropbox(クラウド保存のバックアップ用として)
Evernote(同じく保存&メモアプリとして)
マナーカメラ(音の出ないカメラ。授業記録用などとして)
使い方についてはあとで。

4、どうやって授業を受けるか
大学の講義は基本的にノートパソコンを持ち込み、Evernoteを開いてその場でメモをしていく。
話の内容だけでなく、考えたこと,疑問点なども同時進行で書き出していく。
難しい言葉が登場したら、その場でGoogleで調べる。
参考文献が出てきたらAmazonでチェックし、必要があれば購入する。
PPTの複雑な図表が登場したら、その場でマナーカメラで撮影する。
そのようにして話を聞くだけでなく、 疑問を持ったり、調べながら聞くようにした。

授業が終わったら、FacebookなどのSNSで学んだことを簡潔につぶやく。また、ある程度まとまった内容であればブログにまとめる。できれば授業を受けたその日のうちが記憶が新鮮でよい。
こうしてインプットとアウトプットを循環させることで情報が整理されて、記憶に残りやすくなる。また、SNS経由で、詳しい方から反応をいただけたり、関連する情報を得ることもできた。

5、どうやって勉強したか
書籍代と土日の時間は覚悟しなければならない。家族の協力はもちろん必要だ。
私の場合、土日のうちどちらかは研究に専念する時間と設定し、書斎(という名の空き部屋)にこもってひたすら本を読んだり、原稿に向かったりした。
また、研究分野に関連する勉強会や学会に積極的に参加し、さまざまな先達とつながりを作るようにした。人と会ったときには積極的に自分の研究分野について話した。こういうつながりを作ることも、情報を収集し、研究を育てるためにはとても大切だ。

5、どんな手順で研究を進めるか
(1)研究分野を知る
「教育研究」とはそもそも何をどう進めていけばいいのか、その全体イメージを持つことが必須だ。
「学習指導要領に新しくでてきた内容をやってみたよ」というレベルでは、校内研究では通用しても、大学院で研究すべき内容だとは見なされない。むしろ学習指導要領を批判的に読み解いて、課題を示すくらいの姿勢が必要だ。
教育研究の全体像を手に入れるために、まずスタートは次の本を読んだ。

この本のいいところは、「教育研究」とひと言で言っても、さまざまな分野があるということが概観できることだ。
この本を読んで、私がやりたいことは「カリキュラム開発」であるということが分かった。

(2)修士論文、博士論文を見る
次に、研究のイメージを持つため、実際の修士論文、博士論文を見ていった。
まず自分のやりたい内容をキーワードで列挙してみる。
編集
作文教育
出版学習
アカデミックライティング
メディアリテラシー
読み書き関連学習
情報活用能力
文章生成
カリキュラム開発
など。
このように、列挙したキーワードに関連する分野や類似する研究手法の修論、博論をまずは読み込んでいった。分野によって研究の手法が微妙に異なるので、自分のやりたいことに近い内容の論文を見ておくことがとても重要だ。
大学の研究室にも先輩方の論文はあるが、それらの論文を見て満足するのではなく、やはり優れた論文を数多く見て、こんな論文を書きたいなというイメージを持っておくことが必要になる。

ちなみに学術論文はウェブ上で検索&読むことのできるサイトとして、CINNI(サイニー)Googlescalarがある。※博士論文は大学のweb上で公開されているものが多い。

また、図書館の書架巡りをすることも有効だ。大学、地域の図書館など。図書館によって得意分野が違うので注意されたい。また、図書館の書架は国語教育に限らず、認知心理学やメディア関係など、他の領域でも参考になるものが多いので、関連する棚をすべてじっくりと眺める時間を一度は取ってみることが必要だ。(およそ3時間~半日くらいは必要だろう)

都内の大型書店もたまにまわると、どんなことが話題になっているかがよく分かる。
池袋ジュンク堂、新宿紀伊國屋書店、神保町三省堂など。

もちろん、Amazonなどのネット書店の検索も使いまくる。

結果、修士論文、博士論文は次の文献が参考になった。

◎国語関係の修士・博士論文として入手したもの
池田修『中等教育におけるディベートの研究 -入門期の安定した指導法の開発』
摺田誉美『「説得するために書く」作文指導のありかた』渓水社
貝田桃子『作文教材の開発に関する研究』渓水社
井口あずさ『中学生の意見文作成過程におけるメタ認知方略指導に関する研究』渓水社

・以下二つは博士論文、早稲田大のネット上にある。。
町田守弘『サブカルチャー教材による国語科授業開発論――学習者の興味・関心喚起の方略を探る――』
田中宏幸『中等作文教育におけるインベンション指導の研究 : 発想・着想・構想指導の理論と実践』

(3)仮の研究題目と研究目的、目次案を考える
第一の難関が、研究題目、研究の目的、そして目次だ。
この三つがきっちりと組み合わされば、おそらく論文の50%くらいは終了したと言ってもいい。
だから、この3つに関しては、何よりも先に手を付け、そして最後の最後に至るまで、何度も何度も練り直していくことになる。 
題目と目的、目次は、(2)のお手本を参考に、自分の研究内容に代入してみる。
そのまま言葉だけを換えて当てはめてみるといい。しっくりといかない部分があれば微調整をしていく。もちろん、研究が進むに従って目次も進化していく。

論文の書き方については次の文献が参考になった。
◎論文の書き方などで参考になった本

『留学生と日本人学生のためのレポート・論文表現ハンドブック』東京大学出版会
 この本は最も分かりやすい論文の書き方指南本。
 なにを研究すればいいかということだけでなく、どのような言い回しをしていけばよいかという文体まで具体的に例示している。何をおいても買うべし!


『これから研究を書く人のためのガイドブック』ひつじ書房
研究の進め方や具体的な論証の仕方なども含めて説明してある。学術論文とは何をどう研究すればよいか、初学者にもわかりやすく書かれている。


戸田山和久『論文の教室』NHKブックス
語り口が読みやすくおもしろいだけでなく、「科学」の本質も突いている。
様々なところで絶賛されているのであえて紹介する必要も無い名著だろう。 あれっ?新版?

◎その他、質的な研究手法として参考になったものとして次のものがある。
西條 剛央『ライブ講義・質的研究とは何か』新曜社
関口晴広『教育研究のための質的研究法講座』北大路書店
佐藤郁哉『質的データ分析法』新曜社
……こういうデータの整理の方法については、全くといっていいほど勉強してこなかったので、最初の段階でかっちりと勉強しておけば、もっと精密な研究ができたかもしれない。(結局、これらの質的な研究手法についての文献は、後追い的に読むことになってしまった)

論文の具体的な書き方や研究法については、上記文献を読んでおくとよい。

(4)先行研究を探る
研究のスタートは先行研究だ。まずは何が分かっていて,どんな課題があるかを知らなければいけない。その分野における研究成果の全体像と、かすかな「穴」を見つけるのがここでの課題だ。
「敵」をみつけるのではなく「穴」を見つけるのがポイント。明らかに正反対な立場・主張や、劣った実践をあげつらって批判をするのは、あさましい研究姿勢だ。
自分と一番近い立場や、一番優れた研究成果を取り上げつつ、「ちょっと足りない」「ここが惜しい!」という部分を付け足すような研究の方が建設的な提案となる。

先行研究をさぐるために、以下の文献が参考になる。

①国語教育関係の辞典をひもとく
日本国語教育学会をはじめ、さまざまな研究団体からでている。
作文教育や音声言語などの分野ごとの辞典もある。
辞書のいいところは、その分野の当代一流の専門家がバランスよく選ばれて執筆しているということだ。誰がその分野のエキスパートなのかということも辞書から知ることができる。
古いものが多いが、それぞれの思潮の基本的な流れをつかむことができる。
もちろん、国語教育以外にも教育心理学、認知心理学などの辞典からも得ることが多い。

②『国語科教育実践・研究必携』『国語科教育学研究の成果と展望 Ⅰ・Ⅱ』を読む。
それぞれの分野の研究課題や、巻末の参考文献が有益。

③ ①②をもとに、研究したい分野の『国語教育基本論文集成』『朝倉国語教育講座』などの基本文献にも目を通しておく。

④「博士論文書誌データベース」(国立国会図書館・国立情報学研究所)で関連しそうな博士論文をあさる。博士論文は必ず先行研究のレビューがある。そこで紹介されている参考文献を芋づる式に当たっていく。

⑤CiNii(論文のデータベースサイト)や、「明治図書教育記事データベース」などで関連する論文をひたすら探す。

⑥図書館にレファレンス依頼をし、関連しそうな本に目を通す。
優れた司書さんに出会えると、詳細な文献リストを作ってくださって一気に研究が進む。なるべく具体的な(かといって絞りすぎない)方向性を示すリクエストを出すことがポイント。

⑦過去の教科書に目を通す。
国立教育政策研究所の教育図書館や東京書籍の「東書文庫」などに行けば見ることができる。
(要予約、平日しかあいていないので夏休みなどを狙う)

⑧詳しそうな人に聞く
実はこれが一番有益かもしれない。
自分と共通の関心や研究領域の学生、先生と仲良くなって聞き出す。
学会や研究会はそのための人脈作りの場所だと思うべし。
講話を聞くだけで帰っちゃうなんてもったいなさ過ぎる。出会ったらすぐにSNSでつながり、以後研究のアドバイスを受ける。もちろん、反対に研究について質問を受けたら、ケチらずに快く情報をシェアし合う。

(5)文献を保存、整理する
使えそうな論文は、じゃんじゃん保存しておく。
そのときに便利なのがEvernoteやDropboxなどのクラウドだ。
手に入れた文献はEvernoteに、書いた文章はDropboxに飲み込ませておく。
本の場合は、引用できそうな箇所があったら、表紙と後付け、引用箇所の写真をスマホで撮っておく。保存はEvernote。(あとで引用チェックをするときにいちいちページを探すのは大変)
※図書館の資料の場合は複写のルールが決められている。

引用を本文に書き写したり、インタビューなどを書き起こす場合は、音声認識が便利だ。Evernoteなどに付いている音声認識はかなり使える。スマホに向かって読み上げるだけでOK。

(6)メモと見出しから書き出す
ワープロのいいところは、どこからでも気軽に書き始められるところだ。
思いついたらすぐに書き出す。メモを取る暇が無かったら、これも音声認識。イタコのように、ごにょごにょとつぶやけば、それを文字に書き出してくれる。そのメモを元に原稿を書き進んでいく。

私の場合は
1、目次
2、見出し
3、本文
4、脚注
の順でおおむね書いていった。
つまり、時系列的に前から書き進めるのではなく、まず大まかに、書くべき「枠組み」や「流れ」、「落としどころ」を規定しておいて、その枠組みに沿って具体的な内容を書き進めていく。
一番いけないのは、ノープランでいきなり本文を書き進めていくこと。そうすると必ず行き詰まったり、ぐちゃぐちゃになってしまう。
見出しから書き始める方法のいいところは、文章の筋道が脱線、破綻せずに流れていくということだ。
だから、逆に、うまく文章が流れていないなと思ったら、見出しを新たに立てなおしてみるとよい。そして、ずれているところはばっさりと切り捨てる。川の支流と本流の関係と同じだ。本流が太いと、読み手は安心して流れに乗れる。 
このばっさりができないから、グニャグニャした論文になってしまう。
また、曖昧なことや余計なことを言い過ぎて突っ込まれるポイントを作ってしまう。
論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっているものと心得るべし。

(7)小さい論文を書きためる
修士論文は、最終的にはおおむねA4100ページ以上の大部なものとなる。
それを一気に書き進めるのは至難のワザだ。
だから、大きなゴールの前に小さな目的地を設定し、少しずつ書きためておくのがよい。
私は修士論文のための「習作」として、二つの紀要論文を書いた。
1、先行研究のレビュー論文
2、授業実践についての論文
ここでまとめた論文は、身内の勉強会などで順次発表をしていく。そうして様々な人から意見をもらっていく。このようにして修士論文の内容をさらに豊かにしていくことができる。
この2つの論文を組み合わせ、新たな内容を付け加えて、最終的に100ページ以上の論文に仕上げていった。

(8)授業の記録をこまめにとる
授業開発系の論文では、授業の様子をいかに生き生きととらえるかが鍵となる。
校内研究の紀要のように指導案を書いて、授業の写真を撮って、アンケートをとって終わりでは全く通用しない。だから、授業の様子を逐一記録しておくことが重要になる。
ビデオカメラで記録するのは一番いいんだろうけど、私の授業はグループや個人での作業が中心となる。そのためビデオの台数が十分に確保できないのでボイスレコーダーを各グループに置くことにした。また、毎時間、生徒に学習した内容やふり返りなどを日誌として記録してもらうことにした。
このように記録を取っておけば、あとでデータとして授業を検証することができるので、前もって、どう授業を進めるかということとと同じくらいに、どのように授業の様子をとらえ、データを取るかという方法を吟味しておくことが重要だ。授業前に事前アンケートなどをとって変化を比較するという方法もあるだろう。(もっとも、これは研究の目的との兼ね合いで考えていけばいい問題だ)
授業の記録と同じくらいに重要なのが、授業をしているさなかに感じた感覚や、終わったあとに考えたことなどを、忘れないうちにメモしておくと言うことだ。
あとでまとめようと思っても、時間がたつに従って感覚が薄れてしまう、(薄れてしまうくらいのかすかな気づきほど貴重なものはない) だから、授業中であってもメモできるものをそばに置いておいてその場でメモする方がよい。また、授業が終わったらその日のうちに感じたことを文章にして書き留めておくことをオススメする。できるだけ直後がよい。この手の記録は、ためればためるほど、おっくうになってしまうものだからだ。(と同時に、少し時間をおいて再度記録を見直すものよい。冷やした頭で見るとと、また新たな気づきが得られるからだ)
これらの、授業者のかすかな気づきをまとめ、論理的な文体(根拠を示し、主張を導いていくこと)で表現していくのが質的な研究のキモになってくる。
こういう気づきをうまくすくい上げることができれば、大学の研究者には絶対にできない、いつも生徒に関わっている教師ならではの視点の実践研究になってくるはずだ。

(8)研究指導では、どこを指導して欲しいかポイントを明示する
大学院のゼミでは月に1、2回研究指導を受けることになる。
そのときに、毎回、書いてきた文章をただ示すだけでは、指導をされる先生もどこに焦点を当ててアドバイスをしたらよいか分からない。よって効率も悪い。
そのため、必ず最初に論文の目次を示して全体像をとりあげ、その中で、とくに今日はここを見て欲しいというポイントを示してから指導を受けるようにした。(そのポイントに到達する前に、無残に斬られることも多々あったが……)
もとより、毎時間完璧に準備をして論文を見ていただくなんて不可能だ。だから、少なくともポイントを絞って、最低限必要なところでも確実に指導をしてもらえるように工夫することが重要になる。

(9)使うと便利なワープロの機能
修士論文の執筆では一太郎を使ったけれども、この論文執筆では普段あまり使わない色々な機能を使いこなした。※ワードにも同様な機能はある。
これらの機能は、早いうちに身につけておくととても便利なので、使いこなせるようになっておくとよい。
・検索
・置き換え……語句などの一括変換ができ、用語を統一させることができる。
・連番……章の番号などが入れ替わると新たに振り直すのが面倒。はじめから連番設定にしておく。
・脚注……ページ末に脚注スペースを付くって入れてくれる。
・目次……自動でページ数を振ってくれる。
・文章校正……誤字脱字などをチェックする機能。100ページを超えると校正だけでも一時間以上かかる。
探せばもっと便利な機能はあるだろう。
このほかにも、論文作成を支援するソフトがいくつかある。(メンデレイなど)
結局使いこなせなかったが、余裕があれば、そういうソフトにも手を出せればよかった。

(10)知的誠実とは「正確さ」、「懐疑精神」、そして「温かみ」にある。
あえて言うまでも無いが、引用はOKだが、「ぱくり」は厳禁だ。この引用も、一言一句、余白や記号に至るまで正確に引き写さないといけない。軽い気持ちで引用をすると、引用ミスだらけでいつまでたっても完成がおぼつかないと言うことになる。(そういう厳密さは、論文を校正する際にイヤと言うほど痛感させられた)

もう一つは「懐疑精神」だ。えてして先行研究を取り上げるときに、自分に都合のよいデータばかりを並べ立てて、「これもよい」「あれもよい」という総花式のデータの羅列になってしまいがちだ。しかし、それらの先行研究をどこまでも疑い、批判的に検討し、課題を見いだして乗り越えようとしなければ新奇性のある研究とはならない。
この「懐疑精神」とは、他人の研究だけでなく自分自身の研究に対しても向けられる。「本当にここまで言えるのか」「確かな根拠はあるのか」「これだけで読み手に伝わるのか」というのを、どこまでもどこまでも、丁寧に説明し尽くすことが必要になる。そのためにいくら冗長になっても、論文ではそれは許される。(反対に、根拠をあげて主張を説明できない場合は、ばっさりとそれを論文から切り捨てなければいけないということになる)。とくに修士論文では、自分とは違う分野、立場の人にも分かるように、ゼロから説明する丁寧さが求められる。だから「学習指導要領では」「文科省では」「PISA調査では」というレベルでは全く通用しないのだ。なぜ学習指導要領なのか、なぜ文科省なのかというところまで、臆見ではなくデータを引用しながら、教育について未知の読者に向けて論じなければいけない。そういう意味では「今ここが問題なんですよ」というオリジナリティーのある課題提示、「問題の所在」を、説得力を持って伝えることができるかどうかが最大の山場なのだともいうことができる。

最後に必要なのは「温かみ」だ。学術論文であっても「温かみ」というウェットな要素は必要だ。というか、そもそも温かみのない研究は、実験室で行われるものだったらいいかもしれないけれども、教育現場で行われる実践研究にはふさわしくない。子ども(学習者)の可能性に対する畏敬の念や、尊厳に対する配慮は研究であっても欠かすことができない。そういう配慮は、ちょっとしたアンケートの言葉や、成績を評価するコメントや、学習者を表現する語尾から伝わってくるものなのだ。だから、研究であっても、人と関わる教師としての謙虚さや魂を失ってはならないと思う。(大学では研究に対する倫理規定を定めているところが多いので、ちょっとした調査などは、事前に大学の倫理審査委員会に申し出て許可を得ることになっている場合もある)

終わりに 修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている
あらためて繰り返すが、修士論文は「引き算」と「あきらめ」でできあがっている。
山を動かさんばかりの野望を持って書き始めた論文も、できあがってみると「え、これだけ?」と言っちゃうくらいのささやかさになる。だから完成した修士論文に無念と後悔を感じない人はいないだろう。
しかし、どんなささやかな内容であっても、自分の力で書き上げた、そして多くの生徒(学習者)とともに作り上げた、かけがえのない時間の記録であることは間違いない。
かけがえのない時間を、どれくらい自分は記述することができたろうか、学習者をどれだけ理解し、そして文章として描くことができたろうか。そんな無念の底には、すくい取れなかった無限の「意味」が潜んでいる。
「修士論文の完成は、研究の終わりでもあり、始まりでもある」と言われる。その始まりはおそらく、無念の底に存在する「意味」へとつながる道に向かっていくはずだ。
修士論文を書くなかで学んだことを端的に言うならば、「引き算」と「あきらめ」という言葉を私は想起する。そして無限の「意味」へのまなざしということになりそうだ。
そんな世界に少しでも興味を持った人は、ぜひ大学院での研究にチャレンジして欲しいと思う。
 立った、ろんぶんが立ったよ!