2015/04/04

ケネス・グッドマン原著購読会〜ホール・ラングエッジ勉強会〜 その1

ケネス・グッドマンの「What's Whole In Whole Language」というホール・ラングエッジの入門書をテキストに、輪読形式で読書会を行っている。第二回目ということだが、私は初めての参加。


メンバーは、もと大学教授のS先生を囲む形で、小中学校教員、大学等の研究者など、今日集まったのは計8人。このくらいの人数がじっくりと話し合うのにはちょうど良い。

ケネス・グッドマンって誰? ホール・ラングエージって何?状態なんだけど、おそらくデューイをルーツとする経験的な学習観に立つ言語教育理論ということらしいので、その理論のよって来たるところを見ておきたいと思い、参加することにした。

読書会の進行は、輪番でワンセンテンスずつ読み上げ、それを基にS先生や英語に堪能な先生が解説しつつディスカッションする方式。私は英語は中学生レベルなので音読もおぼつかないくらいだけど、訳読を聞いてやっと理解できた。
「グッドマン教になる必要はない。この会はそういう会ではなくて、みんながテキストから触発されたことを語り合えばいい。しかし、大物とぶち当たったときに触発されるのであって、小物だと思い上がるから、このテキストを取り上げるんだ」とS先生。
ということで、大物相手にがっぷり四つの4時間あまり。しかし進んだのはたった2ページだった。たっぷり話し、たっぷり考えることができた。

今回取り上げたのは「言葉って何?」という章段。
どんなことを考えたかキーワードをメモしておく。

○言葉は経験を分かち合ったり、紐帯を結ぶ。
一人ではできないことを可能にしていく。
人間は言葉によってsymbolically(象徴的・抽象的)に置き換えてものを考えることができる。
言葉によって経験を振り返り、認識させていく。また、言葉による虚構で、経験を創造することもできる。

○言葉そのものに与えられた意味づけは恣意的なものであり、無意味な記号である。
言語のルール・システムは人為的なもの……人工的な文化である。
その言葉の背後には、膨大な情念の世界が広がっている。
言葉にならない未分化の世界から、話し言葉が生まれ、書き言葉が生まれて、身体性が記号に置き換えられていった。

○あるものをあるがままに受け取るのが「ホール」の発想。
「論理」は現象を捉えるためには粗雑すぎる。論理がセンチ単位だとしたら、言葉はミリ単位ぐらい。
「直観、論理に屈したるわざなり」賢治
「割り切れないものを割り切れないままにしよう」
答えが出ないものに向き合っていく姿勢。
Language makes it possible to link minds in an incredibly subtle ano complex manner.

○テクストの意味は一様ではない。→デュアルテキスト
例 万葉集「東の野にかぎろひの……」現代では違う解釈に。

○言葉には集団独特の文化が埋め込まれている。
言葉によって美意識や情感も共有していくことができる。

※言葉と政治性
カナダは移民が多い
移民の子に故郷の言葉を教えていく試み(ブラジル移民にポルトガル語)
インターナショナルラングエッジ エデュケーション
継承語教育(遺産言語)ヘリテージラングエッジ
言葉の絶滅危惧種

方言を守る運動……方言劇の取り組みもある。
方言と共通語をどう扱うかという問題→そもそも共通語(複数の人が話さない)でない言語はない。言語は政治的な力によって位置づけが変わるもの。英語が今後どうなるかは分からない。→エスペラントはポーランドの小国から生まれたから普及しなかった。

※間違いをその都度指摘するべきではない。
間違いはそれを指摘させるべきときがある。そのとき以外は指摘しない

※原著を読むことの良さ
・日本語に置き換えると分かったつもりになってしまう。原著のニュアンスが消えてしまう。
そのため、英語で理解することが大切。
mind 精神作用そのもの
intellect 知識 見識
simbolicaiiy…象徴的、抽象的に考えられる
熟考する……reflect 
など

・英語で読むとすらすらと読めない。これがじっくりと思考をしながら読むためには有効。


※流行を追うといつも遅れる。追わないといつも自分が最先端。

※分かち合うからこそ学べる。一人では学べない。
ネットの良さは、お高くとまっていないこと。どんな雑多な情報も同一平面上に並んでいる。