2015/11/14

問いを吟味する授業

とある中学校の公開研究会から考えたこと。

「問い」そのものを授業の対象にするという発想が面白い。
調べ学習の時になんとなく問いを立てて、(あるいは教員が設定して)そのまま探究に突入しちゃうというパターンが多いんだけど、「問いについて問う」というワンクッションがあるとないとでは、その後の研究の成否が大きく違ってくる。きわめて重要な視点。しかしとっても奥が深い。「問いが持てる子」って、「答えを知っている子」よりもずっとずっと価値があると常日頃から感じている。
授業では、夏休みの宿題で地域について調べたレポートを題材に、さらにそれを深める問いを考え、その立てた問いについて小グループで「問い相談会」(「価値ある問い」かどうかを話し合う)をするというのが今日の展開だった。
問いを吟味することの必要性は、大学のアカデミックライティングでは必須のスキル。高校などでの探究的な学習でも取り入れられている。(「問いを作るスパイラル」など) ほとんどの人は知らないと思うけど、国研の「中学校授業アイディア例」にも、かつて似たような実践が取り上げられた。( http://www.nier.go.jp/jugyourei/h25... )
授業を開発する際には、それをどの程度、対象である中学1年生に落とし込み、他の探究的な学習でも使えるような汎用的なスキルとして習得させることが鍵となるのだろう。汎用的なスキルとするためには、「授業の文脈につかず離れず」ぐらいな距離感が必要だ、つまり、「この授業のための」とか、「この調べ学習のための」問いの吟味の仕方とするのではなく、どんな探究にも使えそうな吟味する視点や方法を対象化、意識化させるのだ。
例えば、問いを吟味させる話し合いで、「良い問いか、悪い問いか」と話し合わせるのではなく、「問いのレベル」を話題にするという方法はどうだろうか。この問いは「深い問いだ」「浅い問いだ」というように、問いを対象化して「問いのレベル」を評価し合うのだ。(って、大人は普通そう感じているでしょ)
また、「問いの方向性」を提示する方法もある。「広げる問い」『深める問い」「連想される問い」「具体化する問い」「ひねくれた問い」「すぐに答えの出そうな問い」「答えは絶対にでない問い」など。このような「問いの方向性」が見えてくるレトリックが活用できると、問いを検討するための発想を広げることができる。発想を広げるという意味では「アタリマエを疑う」という観点も重要だ。常識を壊し、発想を広げるためには「異化」をしていくための道具立てをする。「六色ハット法」や、「なぜなぜ五回」のような「異化」を促すテンプレート、フレームワークを活用させるとよいだろう。
しかし、「問い」を吟味する視点で最も重要なのは、言うまでもなく、調べている本人の「知りたい」という探究心だ。だから「問い」を広げる活動を行いつつも、「そもそも自分の知りたいことは何なのか」という問題意識の根っこにもどっていくような感覚も(感覚こそ?)大切なのだと思う。「問い」を吟味し、あれこれ「問い」を評価していく中で、「この問いは私が知りたいことに近づいている」「この問いだと知りたいことから離れてしまう」「むしろ本当はこの問いを探究したかったんだ」などと感じるような、「問いへの繊細な感覚」を大切にすべきなのではないかと感じた。
つまり、直観レベルでの「問いの吟味」(気になる,知りたい、どうもスッキリしない。モヤモヤする……など)と、論理レベルでの「問いの吟味」(検証は可能か、方法は適切か、つじつまが合っているかなど)の必要性だ。熱いハートと冷たいノーミソで、問いをためつすがめつしていくような学習ができればいい。